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会津本郷焼

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会津本郷焼

  • 福島県
  • 江戸時代
  • 1800年頃

会津本郷焼の歴史

会津本郷焼は、福島県会津地方で作られる東北最古の焼き物です。

本郷焼は全盛期に大小あわせて約100以上の窯元があり、日本でも有数の焼き物として知られています。

現在でも13の窯元が残っており、それぞれの窯元で個性的な焼き物が作られています。

会津本郷焼きでは、磁器と陶器を同時に作成しています。

実は、磁器と陶器を同時に作る焼き物産地は日本になかなかありません。

絵柄は呉須と呼ばれる青藍色の顔料による色付けや、和洋絵の具によるものなど窯元によって個性がでて多彩です。

会津本郷焼は、豊臣秀吉の命を受けて会津藩の藩主になった蒲生氏郷(かもううじさと)が、若松城を改修するために播磨国から瓦工を呼んで瓦を焼かせたことが発祥といわれています。

蒲生氏郷は、会津本郷焼以外にも会津塗を会津の一大産業にしたことで有名です。

1645年には、当時の会津藩主「保科正之」が美濃国から招いた陶工、水野源左衛門が会津の本郷村に原土を発見して陶器製造を始めました。

これが会津本郷焼の起源です。

では、磁器はいつから製造されるようになったのでしょうか。

会津本郷町で磁器が作られるようになったのは陶器が作られてから100年以上後の1800年からです。

会津本郷で大久保陶石という良質な石が発見され、これを使って陶器を製作したいと考えた藩は、有田焼で有名な有田に佐藤伊兵衛を潜入させて、命がけで技術を習熟させたといいます。

その後、会津藩は本郷焼を藩の産業として発展させようと、本郷に奉行所を置きました。

しかし、結局奉行所は廃止になったため、職人たちはそれぞれの窯を築いて焼き物を作り始めました。

これが100以上の窯元が作られたきっかけです。

会津本郷焼ができたきっかけとなった水野源左衛門と佐藤伊兵衛は陶祖廟にまつわれており、現在では毎年行われる陶祖祭という祭りで偲ばれています。

会津本郷焼の特徴

本郷焼は陶器と磁器の両方を製造していることが大きな特徴です。

この二つは、作る技術も、絵柄も大きく違います。

ですから、同じ場所で作られていること自体が貴重で、めずらしいことなんです。

磁器は、飴柚といわれるあめ色と光沢が美しい上塗り薬が施されます。

飴柚が塗られた陶器は、鮮やかな色と温かみがあるツヤがあります。

磁器は、青藍色が美しい顔料の呉須による色付けや、和洋絵の具による彩画が施されています。

本郷焼で最も有名な窯元が「流紋焼」です。流紋焼は本郷焼でも最大規模です。

特徴的な釉の模様をしており、鉢、コーヒーカップ、花瓶など様々な種類の流紋焼が作られています。

本郷焼で最も古い歴史を持つのが宗像窯です。

飴釉の深い色合いを持った 鰊鉢は国際的にも評価が高く、昭和33年にはブリュッセルで開かれた万国博覧会でグランプリを受賞しています。

一方、新しいものでは2007年に作られた「陶房 彩里」があります。

厚みと重量感のある本郷焼のデザインとは打って変わり、赤べこなどのキャラクターを模した作品があります。

明るくてシンプルなつくりが目を引きます。

●作り方

本郷焼は、ろくろの上で年度を回転させながら成型されます。

それ以外にも、石膏型を使うものや、手だけで形を作るものなど、窯元によって作り方は違います。

地元の陶石と、粘土を調合して、独自の製品を作成しているところも多数あります。

まとめ

会津本郷焼の窯元は町の中になじんでいます。

本郷町の通りにひっそり店を構えているものもたくさんあります。

焼き物は実物を見てみないと本当の良さがわかりません。

いくつかの窯元を訪れてみて、自分好みの本郷焼を見つけてみると面白いでしょう。

Written by 赤津 陽一

竹細工職人の祖父を持ち、幼少より伝統工芸やものづくりの現場を見て育つ。日本のものづくりの現状を変えたいとの思いから、BECOS(ベコス)の立ち上げに参画。全国の職人やメーカーに対して取材や撮影、インタビューを行い自分の足で情報を集め、読者へ届けることにこだわっている。

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