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別府竹細工

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別府竹細工

  • 大分県
  • 700年頃
  • 奈良時代

別府竹細工の歴史

奈良時代(710年~794年)の「日本書記」に、景行天皇(けいこうてんのう)が九州南部の熊襲征伐の帰りに立ち寄った別府にて、台所方が良質なシノダケから茶碗籠を作ったことが、別府竹細工のはじまりであると言われています。

本格的に工芸品として扱われるようになったのは室町時代(1336年~1573年)からとされ、行商用の籠が販売のために生産されるようになり、竹細工の市場が整備されていきました。

江戸時代(1603年~)に入ると、日本一の温泉地「別府」の名が全国に広がり、各地から別府へ湯治客が集まるようになりました。

そして湯治客が滞在中に使用する飯籠、米あげ笊といった竹製の生活用品が売られるようになりました。

竹製品は湯治客の土産品としても好評で、需要の増加と共に竹細工市場は拡大し、別府に地場産業として定着していきました。

別府竹細工の特徴

別府竹細工の技法として、「四つ目編み」「六つ目編み」「八つ目編み」「網代(あじろ)編み」 「ござ目編み」「松葉編み」「菊底(きくぞこ)編み」「輪弧(りんこ)編み」が別府竹細工の基本的な編組技術として受け継がれています。

また、これらの編組の組合せによって、200種類以上の編み方が可能と言われています。

Written by 赤津 陽一

竹細工職人の祖父を持ち、幼少より伝統工芸やものづくりの現場を見て育つ。日本のものづくりの現状を変えたいとの思いから、BECOS(ベコス)の立ち上げに参画。全国の職人やメーカーに対して取材や撮影、インタビューを行い自分の足で情報を集め、読者へ届けることにこだわっている。

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