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波佐見焼

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波佐見焼の歴史

波佐見焼は1598年、長崎県の長崎県東彼杵郡波佐見町で発祥しました。

そのきっかけは、豊臣秀吉が朝鮮出兵を起こし、帰国する際に朝鮮から連れてきた陶工の李祐慶が村内に登り窯を作ったことです。

その当時は、波佐見町の三股郷でとれる陶石を原料として、青磁という陶器を作っていました。

しかし、陶器を作って行く中で、砥石として人々の間で使われていた天草の石が白磁という陶器の原料に適していることがわかり、青磁よりも白磁の生産にシフトしていきました。

天草砥石は広く流通しているため、天草砥石を大量に購入し、町を挙げて白磁生産を行うようになったのです。

波佐見焼は職人一人で時間をかけて作る工芸品ではありません。

大衆に使われることを意識し、大量生産を行っていきました。

特に、中尾上登窯は全長160mという世界でも2番目に大きい窯であり、波佐見焼の生産を支えていました。

大量に生産された磁器は、庶民の「磁器は高くて買えない」という常識を覆しました。

特に有名な、くらわんか椀というお椀は、江戸時代に生産され簡易な草花文などの絵が施された磁器であり、庶民でも気軽に購入できる陶器として普及しました。

波佐見焼の特徴

波佐見焼の特徴は主に二つです。

一つは、大量生産されて庶民の間に普及したこと。

そしてもう一つが、透き通るような白磁の美しさと繊細なえ絵付けです。

陶磁器の大量生産というと品質が悪いのではないかと思うかもしれませんが、そのようなことはありません。

波佐見焼が素晴らしいのは、高品質の陶磁器を大量に生産できたことでした。

波佐見焼がこれを可能にしたのは、うまく仕事を分散化させることができたからです。

波佐見焼の生産は「型屋」「素地屋」「窯屋」に分業され作業が成されていました。

さらに、それぞれこの3つも細かく作業を分業していました。

一つ一つの作業場には、その作業の職人がつき、お互いにうまく連携を取り合うことで陶磁器の品質を保っていたのです。

波佐見焼の透き通るような美しさは、呉須と呼ばれる藍色の顔料で絵付けされた染付によるものです。

波佐見焼に施された網目模様や透かし掘りは、大量生産されているとは思えないほど繊細な味わいを出しています。

庶民の間で愛されてきた波佐見焼は、職人どうし力を合わせることで、400年という長い間生産量と美しさを保ってきたのです。

波佐見焼の利用シーンと利用の注意点

波佐見焼は白磁の美しさと、呉須の鮮やかな藍色が魅力的な焼き物です。

庶民にいきわたるように大量生産された波佐見焼は、磁器として比較的に安価な値段で買うことができます。

波佐見焼の商品は飯椀、カップ、鉢、皿、鍋、インテリア商品など、非常に多岐にわたります。

その中でもヒットしたものが、くらわんか椀です。

くらわんか椀は、かつて大阪の船着き場にて、商人が「酒くらわんか餅くらわんか」といって食べ物を売り歩いていたことが由来です。

船の上でも倒れないように、高台が高く作られており、仮に割れても問題ないくらいの安価な値段で提供されていたことがこの椀の人気の理由です。

それは、今も変わらず、陶器としては安価な値段で購入することができます。

用途としては、ご飯を盛るのが一般的です。

また、400年続く伝統的なお椀を安価な値段で購入できるとして、贈り物としても人気です。

くらわんか椀以外では、コンブラ瓶が有名です。

コンブラ瓶は醤油などを入れておく瓶として使われます。

白磁のシンプルな白色がインテリアとしても人気です。

波佐見焼は陶器ですので、落としたりぶつけたりして強い衝撃が加わると割れてしまいます。

波佐見焼の見学できる工房

名前:三喜(さんき)工房

所在地:東彼杵郡波佐見町中尾890
営業時間:10:00~17:00 不定休
電話番号:0956-85-3072

波佐見焼を体験できる場所

名前:くらわん館

所在地:長崎県東彼杵郡波佐見町井石郷2255-2
営業時間: 9:00~17:00
店休日:元日のみ
電話番号:0956-26-7162

Written by 赤津 陽一

竹細工職人の祖父を持ち、幼少より伝統工芸やものづくりの現場を見て育つ。日本のものづくりの現状を変えたいとの思いから、BECOS(ベコス)の立ち上げに参画。全国の職人やメーカーに対して取材や撮影、インタビューを行い自分の足で情報を集め、読者へ届けることにこだわっている。

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