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唐津焼

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唐津焼の歴史

唐津焼が広まったのは室町時代から桃山時代にかけて、備前地区一帯で作られた陶磁器のことを言います。

いくつか諸説はありますが、近年の調査では1580年頃に岸岳城城主波多氏の領地で作られたものが唐津焼の始めと言われています。

そして豊臣秀吉が2度の朝鮮出兵の際、朝鮮の陶工を九州に連れて帰り、各地に窯場が作られていきました。

挑戦の陶工から得た技術により、 高温かつ大量の唐津焼を焼き上げることが可能な窯が登場していき、全国に流通するようになりました。

そして西日本では「焼物と言えば、からつもの」と呼ぶほど、唐津焼が浸透していました。

江戸時代に突入し、窯場の乱立により山が荒廃により佐賀藩の取り締まりが始まり窯元の数が減少していきました。

また有田の泉山にて、陶石が発見されました。

それ以来、陶磁器の生産進みました。

その結果、陶器から磁器へと焼物の生産の流れが移行し、唐津焼は衰退していきました。

明治維新後も窯元が減少していき、唐津焼の技術は失われるかのように見えた時、変化が訪れます。

昭和初期、人間国宝である中里無庵が古唐津窯跡発掘調査、唐津焼特有の「タタキの技法」の研究などを進めたことで技術が復元されていきました。

そして唐津焼を作る窯が増えていき、唐津焼の歴史を尊重しながらも新しい要素が取り入れられた唐津焼が今も生まれ続けているのです。

唐津焼の特徴

唐津焼は、素朴な雰囲気と力強さが溢れている陶器です。

模様は、自然の趣や土の温もりを感じさせます。

唐津焼は他の陶器とくらべ種類が多いのが特徴です。

その土が持つ性質や釉薬、技法によって種類が分けられています。

1つ目が「絵唐津」です。

絵唐津は、日本で最初に絵付けを施したものと言われています。

鉄分を含んだ鉄溶液で絵を描き、釉薬をかけて焼き上げています。

絵は、木や花、人、鳥などさまざまで、唐津焼の中で1番存在する数が多いと言われています。

2つ目が「斑唐津」です。灰釉を使用し焼き上げ、乳白色の表面に青と黒の斑点ができやすいということからこの名が付いています。

3つ目は「朝鮮唐津」です。

鉄釉と灰釉の二種類の釉薬を使用し、高温で焼き上げます。

2種類の釉が合わさり、縦糸状や斑状になり色のコントラストを楽しめます。

4つ目は「黒唐津」です。鉄分を多く含んだ黒釉を使用し、焼き上げます。

鉄分の量や酸化の具合により色が、飴色や褐色、黒と色が変わります。

色はさまざまですが、それらを総称して、黒唐津と呼んでいます。

5つ目は「三島唐津」です。

三島唐津は、朝鮮の李朝三島から技法から受け継いだものと言われています。

生地が半乾きの時に、印花、線彫などの模様を施し、その上から化粧土を塗ります。

削り取るまたは拭き取ることで、模様を浮き出させ、釉薬を掛けさらに焼き上げたものです。

模様が特徴的な陶器となっています。

その他にもさまざまな種類があり、唐津焼1つを取っても楽しみ方が幅広いと言えます。

唐津焼の利用シーンと利用の注意点

唐津焼はかつて、茶陶器として有名でした。

茶の湯道具として、唐津焼の持つシンプルでありながら趣がある雰囲気が味わえるという理由で使用されていました。

現代は茶陶器としてだけでなく、食卓に使用される食器や酒器として利用されています。

食器や酒器として唐津焼を利用することで、食材や料理の持つ魅力を引き出してくれます。

また唐津焼の伝統を守りながら、若い作陶家が伝統の中に新しい風を吹き込んでおり、日々変化を遂げています。

唐津焼は完成した時には、貫入が存在しています。

貫入は、食材や飲み物の水分を吸収します。

水分を吸収することで、その唐津焼が持つ表情や味わいが変わっていきます。

長い年月を共に過ごすことで、少しずつ変わっていく変化を楽しむことができるのが、唐津焼の魅力です。

唐津焼の見学をできる工房

岸岳窯 三帰庵

佐賀県唐津市北波多岸山154

0955-64-2123

9:00~18:00

唐津焼の体験をできる場所

鏡山窯(きょうざんがま)

佐賀県唐津市鏡4958

0955-77-2131

9:00〜17:00(工房)

Written by 赤津 陽一

竹細工職人の祖父を持ち、幼少より伝統工芸やものづくりの現場を見て育つ。日本のものづくりの現状を変えたいとの思いから、BECOS(ベコス)の立ち上げに参画。全国の職人やメーカーに対して取材や撮影、インタビューを行い自分の足で情報を集め、読者へ届けることにこだわっている。

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