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笠間焼

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  • 茨城県
  • 1780年頃
  • 江戸時代

笠間焼の歴史

笠間焼の起源は、1780年頃と言われています。

箱田村(現在の笠間市箱田)の久野半右衛門が、信楽の陶工・長石衛門の指導で焼き物を始め築窯したことがきっかけとされています。

明治時代(1868年~)に入っても、笠間は19の窯元を数える厨房用粗陶器の産地として知られていました。

しかし、終戦後(1945年)、プラスチック製品などの流入によって人々の生活様式も大きく変化してしまいました。

百数十年におよぶ関東一の歴史を誇る陶の里も、陶器需要の減少とともにそれまで経験したことのない危機に直面してしまいます。

復興の大きなきっかけとなるのが、笠間焼関係者の熱意によって1950年に設けられた、茨城県窯業指導所です。

そこでの工芸陶器を目指した釉薬の改良や原料となる粘土の研究と試行錯誤、陶工の養成などが、やがて試練の時代に一筋の光を呼び入れることになりました。

また、厨房用粗陶器から工芸陶器への転換も、現在の笠間焼と、その隆盛を語るうえでは欠かせない判断だったと言えるでしょう。

笠間焼の特徴

関東ローム層から出土する笠間粘土や花崗岩の風化によってできた鉄分を多く含む蛙目(がいろめ)粘土と呼ばれる陶土によって作られています。

笠間粘土は粘りが強く粒子が細かいため焼き上がりが丈夫で、日常雑器としては理想的な土と言われています。

Written by 赤津 陽一

竹細工職人の祖父を持ち、幼少より伝統工芸やものづくりの現場を見て育つ。日本のものづくりの現状を変えたいとの思いから、BECOS(ベコス)の立ち上げに参画。全国の職人やメーカーに対して取材や撮影、インタビューを行い自分の足で情報を集め、読者へ届けることにこだわっている。

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