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肥前吉田焼

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佐賀県

  • 1570年頃
  • 安土桃山時代

歴史

吉田焼の歴史は非常に古く、1577年頃に作られた陶磁器の破片が発掘されています。

後に佐賀藩主、鍋島直茂が朝鮮陶工を吉田山に招き、磁器を焼かせたことから吉田焼が生まれました。

享和年間から食器などの生活雑器を中心に焼き、繁栄しました。

しかし天保年間に入り、生産過剰により単価が下落、窮地に立たされることになります。

明治に入り、磁器生産の「精成社」が吉田山に創業されました。

主に輸出用の食器を生産し、有田から学んだ技術の向上もあり中国・朝鮮などに市場を広げ、大正年間には朝鮮半島向けの市場を独占するほど好景気に沸きました。

しかし後の朝鮮の情勢悪化や他生産地の台頭などもあり、次第に衰えていきます。

しかし、窯場を集めて共同出資した吉田製陶株式会社の設立などで合理化を図り、廃絶は免れ今日に至っています。

特徴

肥前吉田焼は古くから生活向けの食器類を焼いてきており、確立されたスタイルは存在しません。

主に染付磁器・色絵などを焼いていますが、窯元によって伝統的な青磁から現代的なデザイン、伝承や物語をあしらった意匠のものなど様々です。

また作品も湯呑み、茶碗、酒器からコーヒーカップ、花瓶まで幅広い。

非常にリベラルな作風を持った陶磁器と言えます。

Written by 赤津 陽一

竹細工職人の祖父を持ち、幼少より伝統工芸やものづくりの現場を見て育つ。日本のものづくりの現状を変えたいとの思いから、BECOS(ベコス)の立ち上げに参画。全国の職人やメーカーに対して取材や撮影、インタビューを行い自分の足で情報を集め、読者へ届けることにこだわっている。

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