闘いにおいて必要なのは、責める武器と守る楯です。戦国時代武器が鉄砲や刀であり、楯の役割をしたのは「兜」や「甲冑」でした。

身を守るという本来の目的から次第に自身を誇示する目的も持ち合わせるようになり、次第に芸術品のように進化していった日本の兜と甲冑。その基本的知識と、戦国史上「変わり甲冑」で有名な武将たちを合わせてご紹介します。

兜・甲冑の構造について、各部名称

甲冑や兜と言えば一番身近でわかりやすいのが端午の節句の五月人形です。頭部を守る兜と胴部を守る鎧を合わせて「甲冑」と呼びます。普段しみじみと見る機会はないので、せいぜいテレビや映画などで見るくらいですが日本の甲冑は独特な形をしています。その作りと役割を細かく検証してみましょう。

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「兜鉢(かぶとばち)」は、頭部を守る金属や皮でできた基本的な部分です。装飾や付属品を取るとヘルメットになります。そのヘルメットの前面についている庇が「目庇(まびさし)」です。元来の庇の役目どおりに雨や風などを除けたりするのに加え、額の攻撃を防ぎます。

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「兜鉢(かぶとばち)」の側面から後ろにかけて付いている部分が「錣(しころ)」といい、板状に繋ぎあわせているもので後頭部や首などを守る働きをします。枚数が兜によってまちまちで三枚の物を「三枚兜」、五枚の物を「五枚兜」と呼んでいます。

その「錣(しころ)」を「目庇(まびさし)」あたりから、くるりと折り返した形になっているのが吹返(ふきかえし)です。

これは単なるデザイン的要素ではなく、視界を広げるためのものでした。側面を「錣(しころ)」で全体的に覆ってしまうとどうしても視界が遮られてしまうため、横からの敵や様子を見やすくするために工夫された形にしたものです。それから兜の顔の部分についているものが「面頬(めんほお)」です。

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基本的には当然顔の部分を守る役目ですが、敵を威圧する役目も備わっていました。現代の私たちから見ると怖くて不気味にさへ見えるその面は、元々そういう役割を持たせていたということになります。

そして何より兜の主役といってもいいのが「立物(たてもの)」です。兜の鉢の部分に付ける一番目立つ飾り物です。シンプルで一般的デザインだったのが、角のような物を左右に付けるものです。

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これは「鍬型」といい、農具の鍬を具象化したものです。昆虫のクワガタムシの名前の由来になった兜の立物です。「立物(たてもの)」を付ける場所は特に決まっていたわけではなく、全面に付けるのを「前立」、側面が「脇立」、後ろが「後ろ立」、それから特にこの「立物(たてもの)」が大きいものを「大立」と呼ばれていました。

鎧の方は比較的わかりやすく、「胴」に加えて肩や腕を守る「袖」、槍などから脇を守る「脇当て」、胴の下にスカートのようにつりさげてある「草摺」は下半身を守るためのものです。

また首を守る「喉輪」や弓の弦が直接当たらないようにするため胴につける「弦走」などもあります。

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歴史上有名な戦国武将の甲冑について

戦国時代の甲冑は自らを誇示し主張するものでもあったわけですから、武将たちはそれぞれ様々な工夫や装飾をほどこし個性を出しました。

中でも変わり甲冑として名高い人物たちがいます。彼らはもちろん甲冑だけでなく戦国時代を彩る重要な人物たちばかりです。形と中味が伴っていたということでしょうか。現在でも人気の戦国武将たちを甲冑と共にご紹介します。

徳川家康 江戸幕府を築いた初代征夷大将軍

後200年以上続いた江戸時代の基礎を作りあげた武将です。甲冑は夢枕に立った大黒天をイメージして自らデザインしたと言われる真っ黒な甲冑。

前立てが左右対称の美しいシダの葉になっています。

伊達正宗 奥羽の国の大名

時代が違えば天下をとっていたのではとまで言われた勇猛な武将。伊達ものと言われたその言葉どおり甲冑もシンプルで洒落たデザインです。なんといっても有名なのが反り返った長い月の立物。

バランスといい邪魔にならないぎりぎりの長さといいみごとなものです。

真田幸村 父や兄と別れ関ヶ原の戦いで西軍に属し大活躍をした武将

なんといっても有名なのが全身を赤で統一した「赤備え」。立物は大きな長い二本の鹿の角です。前面には六文銭の飾りが付いています。

上杉謙信 越後の国の武将で武田信玄との闘いが有名!

上杉謙信は僧侶であることから映像などでは僧兵のような姿で描かれることが多いのですが、もちろん甲冑を身に着けていました。

甲冑は黒の本体と紫の糸のコントラストが洒落た感じで、立物は月と太陽をイメージしたものです。

織田信長 言わずと知れた尾張の国の戦国の雄

ヨーロッパの甲冑を日本風にアレンジした南蛮具足として有名です。確かに日本の戦国時代の鎧の基本的な形とは少し違っています。

兜も先がとんがったシンプルな造作になっています。甲冑の上から羽織っているマントがとても似合う不思議な魅力の甲冑です。立物は織田家の家紋である木瓜紋です。

井伊直虎 実は女性だった!?謎多き武将

井伊家の記録において、女性でありながら井伊家の当主になったとありますが、詳しい人物像はほとんど残っていません。

井伊家の甲冑も真田同様「赤備え」で有名です。元々赤は武田家から始まったもので、真田家も井伊家も武田家とゆかりがあることから双方とも縁あってそれを受け継いだということになります。

甲冑の重さは?

種類や素材や大きさによって微妙に重さも違ってきますが、兜だけで20~30kg、鎧を入れると30~40kgはあったと推測されます。

その重さを身にまとい、弓を引いたり刀を振り回していたのですから大変な重労働だったわけです。武将によっては装飾用と戦闘用の二つを使い分けていたという人もいるようです。身分が高い人ほど重い甲冑だったのかもしれません。

本物の甲冑を着られる場所

本物の甲冑体験ができる場所が存在します。「箱根武士の里美術館」という所で、古美術の蒐集家の方が蒐集したものを展示している美術館です。

こちらで甲冑体験をすることができます。レプリカではなくなんと江戸時代に作られた本物の甲冑です。

重量もそのまま体感できるということですので貴重な経験を味わえます。現代に制作されたものや、コスプレできる施設は写真館や甲冑関係の店舗など全国にいくつか存在します。京都の映画村など遊技施設でも着用することができます。

お子様には小さくて軽い甲冑も用意されているようです。

甲冑で覚えられる歴史

歴史が苦手という方も多いと思います。戦国時代は特に登場人物が多すぎてややこしいことこの上ない時代です。しかし誰が誰やらわからない名前も特徴的な甲冑の形で覚えるという方法もできます。

上記で紹介した他、立物には「お札」やら「鳥の羽」やら「逆さまにしたお椀」などまであります。それらを目安にして人物そのものを知っていくと、彼らがなぜその立物にしたのかなど意味がわかってきたりします。それもまた歴史への入り方の楽しい一つといえるのではないでしょうか。

闘う芸術品

兜そのものは古墳時代からあったと言われています。しかし現在の魅力的な甲冑の姿が現れたのは戦国時代だけです。

群雄割拠の特殊な時代がもたらした日本の文化の一つといっても過言ではありません。刀なども含めて、日本の甲冑は闘うための道具としてだけではなく当時の戦国時代からすでに芸術品の要素を持ち合わせていました。

何百年も大切に保存され受け継がれてきた事実が、その重要性と美しさを物語っています。