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薩摩切子

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鹿児島県

  • 1851年頃
  • 江戸時代

歴史

1851年、薩摩藩主に就いた島津斉彬が西欧列強に対抗し近代化を推し進める「集成館事業」の一つとして始めました。

透明なクリスタルガラスに色ガラスを被(き)せ、カットすることで「ぼかし」の美しさを堪能できるグラスが作られました。

斉彬の死後、1863年の薩英戦争で集成館が焼失し、1877年の西南戦争前後に技術は途絶えましたが、1985年に復刻され現在にいたります。

特徴

同時期の江戸切子との違いは、江戸切子が透明・無色な硝子(透きガラス)に細工を施したものなのに対し、薩摩切子はより細かい細工(籠目紋内に魚子紋等)や色被せと呼ばれる表面に着色ガラス層をつけた生地を用いたものが多く、またホイールを用いた加工の有無が挙げられます。

薩摩切子はヨーロッパのカットガラスに範を取り、色被せの技法はボヘミアガラスや乾隆ガラスから学んだものと言われていますが、現在に伝わる当時の品には日本的な繊細さが見られます。

近年の研究によって無色の薩摩切子(透きガラス)という区分が整理され、新たな品も発見されています。

色被せの薩摩切子の特徴として特にその色の層の厚さがあり、これに大胆な切子を施す事によって切子面に色のグラデーションが生まれます。

これが色被せ薩摩の特徴で「ぼかし」と呼ばれるものです。

Written by 赤津 陽一

竹細工職人の祖父を持ち、幼少より伝統工芸やものづくりの現場を見て育つ。日本のものづくりの現状を変えたいとの思いから、BECOS(ベコス)の立ち上げに参画。全国の職人やメーカーに対して取材や撮影、インタビューを行い自分の足で情報を集め、読者へ届けることにこだわっている。

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